ぼくはまちちゃん!

こんにちはこんにちは!!

弱虫に優しいコミュニケーションツールほど流行りやすい

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こんにちはこんにちは!!
こんなにじめじめと暑い季節には…
そう!
コミュニケーションとかについて、ちょっと考えてみたりしてみましょうか!

はい!
ネット上で何か発言する時って、
2つほど「恐いこと」があると思うんだけど、どうでしょう…!

うん、なにが恐いのかって言うと、

・否定されること
・スルーされること

とかかな…。

あ、もちろん内容によっては反論大歓迎みたいなのもあるよね。
だけど基本的には、否定されることってやっぱり嫌なことなんじゃないかな…!

じゃあ逆に嬉しいことはなんだろう?
たぶん、肯定されることだよね。 もっと良いのは褒めてもらえることかな。
あいつスゲー、って。

ってことは、
「恐いこと」が発生しにくい立場で、
「嬉しいこと」になっちゃうかもしれないようなコミュニケーションができれば最高
ですよね!

ちょっと悪い言い方をすると、
(反論されにくい) 安全な位置から他人への批判や意見ができて、かつ、賛同や賞賛だけは得やすいポジション、のような…!

まあそんなわけで、いまどきのネット上のコミュニケーションサービス的なものは、
そのあたりの「恐いこと」の起こりにくさや、「嬉しいこと」の起こりやすさのバランスが
上手くカバーされていたりするのかなーなんて視点で、
ぼんやりと考えてみたことをメモしてみますね!

たとえばmixiは…!

「マイミクの日記一覧」っていう小さい仲良しグループを作ってあげることで
自分が書いたことが、ちょっとだけスルーされにくくなったよね。

コメントする側も、ちょっと書きやすい。
日記を「小さい仲間内だけの閉鎖空間」っぽく見せてくれているから、
コメントに対してもなんとなく否定されにくそうなイメージだよね。
だって、そんな場所で否定的なこと言って嫌われたら
仲良しグループから追い出されてしまうかもしれないのだから。

うん。
mixiは、コメントがもらえやすいのが嬉しくて、みんな日記を書いたんじゃないかな。

そんな感じでmixiは、「恐いこと」が起こりにくく、「嬉しいこと」が起こりやすい、
一見、すごく理想的なコミュニケーションツールのように思えたんだけど…。

だけどmixiのもつ「スルーされにくい構造」がアダになってしまって、
いつしか「スルーするのが悪い」なんて感覚になっちゃう人たちも沢山でてきたよね。
スルーしたことがバレるのがイヤだから、あしあとをつけたくない、なんて人とか。

そして、そういうのに疲れてやめちゃう人っていうのも多かった気がするよ。
mixiは、すごく惜しかった。

たとえばtwitterは…!

mixiが「スルーされにくい構造」を目指したのに対して、
twitterは「スルーされてもへいき」なつくりになっていて、
その感覚が、ちょっと心地よくて、すごく流行ったよね。

だって「ただのつぶやき」なのだし。
だから無視されてもへいき…。

たぶんtwitterって否定もされにくいんじゃないかな。
なぜならtwitterって好きな人だけを(一方的に)フォローして
好きな人の発言だけを見ればよいって考え方だから、
否定的なことばかり言ってる人っていうのは、フォローされにくい感じだよね。
フォローされない、発言を見てくれる人がいないのなら、twitterしていても楽しくないから
結局そういう人はやめていってしまう。
だから自然と否定的な人は少なくなっていくよ。

こんな風に「恐いこと」になりにくいにもかかわらず、
ちょっと「嬉しいこと」が得やすいんだよね。
つぶやきに返事をもらえたりとか、
つぶやきをお気に入りにしてもらえたりとか。
(→公式じゃないけどふぁぼったーで可視化されると、より嬉しさがわかりやすいね)

たとえば2ちゃんねるとか…!

ここはスルーも否定も当たり前なところなんだけど、
書いた後で、いつでも逃げられるところがいいよね。
え? あの馬鹿な意見書いたの俺じゃないよ?」なんて言って(思って)
すぐまた別の人になって書くことができる。
逃げやすいのはいいね。 いくらでも好きなこと書けちゃう。

ただし逆に「このスゴイ書き込み俺が書いたんだよー!」っていうのがやりにくいんだよね。
だから2chで「嬉しいこと」を体験することができたひとってわりと珍しいんじゃないかなーって思うよ。

たとえばはてなブックマークなら…!

ここもスルーされても全然平気だよね。というかスルーされるのが前提なのかな。
だって「自分用のブックマークのメモ」なんだから。

じゃあ否定されることについてはどうだろう。
どこかで誰かに否定されたところでダメージが少ないのかもしれない。

同じブクマ上で否定されようが、
どこかの記事に引用されつつ否定されようが、
自分がコメントを書いた場所(ブクマ詳細)と時間(盛り上がっている旬)にいる「みんな」から
「あ、コイツ否定されてやがる」と思われにくい。
…ってことなのかな。
あーこれだとちょっと他人を気にしすぎな人の感覚になっちゃうかな。難しいね。

なんとなくだけど、もし否定されたとしても、否定されたことをスルーしやすい。
っていうのが、あるのかもしれない。

うん。 否定への否定をあまり恐れなくてもいいつくりだから、
ついつい気軽に批判とかができたりもするのも特徴なのかな。

あとブックマークする対象のページを、選民だけが上から見ているイメージを作り出しているので
ここでだけ強気になれる人がわりと多い感じなのもちょっと面白いよね。

いい感じのコメントが書けた時に、スターをもらえたり、お気に入られたりするのが「嬉しいこと」かな。
自分の使っているIDが育っていく感覚がいいね。
「恐いこと」を避けやすく、かつ、ちょっぴり「嬉しいこと」を演出できているような気がするよ。

じゃあたとえばブログは…?

これはブックマークユーザーから見ると
相対的に強者よりのツールになっちゃうのかな。
良い記事を書くことに成功した時の「嬉しいこと」は一番大きいんだけど…!

ブログって簡単には逃げにくいよね。
もちろん全部捨てて逃げることもできるんだけど、
そうすると今度は、せっかくの発言力を失っちゃう。読者がいなくなるから。

だからスルーにも否定にも耐えられる人でないと発言しにくいかもしれない。
あるいは、スルー・否定されにくいような記事を書くとか…。

ブログの読者側にしてみると、
記事にコメントしようかなーなんて思ったとき、
匿名で書いてしまうと2chと同じで「嬉しいこと」には特になりにくいんだよね。
だから、どっちかと言えば匿名コメントって、否定的なものが多くなっちゃうのかもしれない。

だからと言ってうっかりと匿名以外でコメントを書いたりしてしまうと
「みんなに見られている土俵の上での反論」されるのが恐いし、
なにより自分が「見る側」から「見られる側」に立つことになっちゃう。

だからブログのコメント欄て使いにくい。

うん、なんだろう。
逆に言うと、
タフな人間でないと発言しにくいコミュニケーションツールは流行りにくいかもしれないね。
たとえば実名制のネットだとか。
そんなの一部の人以外は誰も喋らなくなるかもしれない。
だって否定されても逃げ場がないのだし。