ぼくはまちちゃん!

こんにちはこんにちは!!

geekと女の子的感覚の違い

※本ページにはプロモーションが含まれています

ここでは、
geek = (ソーシャルナントカ慣れしたネットオタク)
女の子 = (そうじゃない女の子)
として書くよ。

(女の子)

  • ブログ等を含むネット上の交流は井戸端会議的な感覚
  • 井戸端会議だから、少し通行人の耳に入る程度は許容できるけど
  • それを勝手にテレビに映されると困る

(geek)

  • 閲覧制限でも設けていない限り、ネット上の発言が、いつ誰にどんな状態で見られるかもしれないことを知っている
  • ニックネームや、その他特定できる情報から、いつ誰に、自分に関する他の情報が結びつけられて知られるかもしれないことを知っている
  • 自分の日記やつぶやきが、ある日突然、大きなメディアや2chの祭り会場にとりあげられる可能性があることを知っている
  • それが技術的に可能である・当たり前にできることを知っているから、自分がそれをする・されることを当たり前に受け入れられる

■たとえば、はてなスターで

誰につけた・つけられたが一覧できるページが、これまでなかったとする。

そしてある日はてなが公式で、
はてなスターのつけた/つけられた一覧がユーザーごとに見られるページつくったよ! どうぞご利用ください!」などというと…

geek: (おーやっと作ったんだ) べんりだねー。
女の子: (まさか晒されるとは思ってなかった…、スター削除してまわらないと) これはひどい…!

こうなる。

geek的感覚なら、この女の子の感覚が不思議でたまらないよね。
だってgeekからしてみれば、
そんなページなくても、きみのスター、今までだって僕個人で集計できていたんだから」。

だからたとえば、はてなブックマークの「お気に入りのブックマーカーを紹介しようキャンペーン」なんかも…、

これgeekにとっては別に何も感じるところはないはず。
だけどこれ、女の子にとっては、「晒し」「晒され」と感じる。らしい。
たとえその女の子が、パブリック(他者から閲覧可能)な状態でブックマークを利用していたとしても。

このへんがイマドキのソーシャルナントカにおける、geekと女の子の間にある溝のように思えるけど、
この先、溝が埋まってゆくとしても、
geek側が女の子の感覚に近づくことはないだろうね。

じゃあ…、
女の子が今のgeekの感覚を理解して近づくか、
それとも、「井戸端会議の距離」を強く取り入れた仕掛けが主流になってゆくのか。

あるいはネットの世界そのものが「できるからと言って、何でもやっていいという訳ではない」という風潮に傾いてゆくのか。

geekの手によって作られた、より発信者として参加しやすいソーシャルナントカの普及によって、これまで「見るだけ」だったリアルの距離感/感覚を引きずったままの多くの普通の人が、「書く側」へ変化してゆくよ。
でもそのせいで皮肉なことに、これまでgeekの遊び場だったネットの世界も、「geekの常識」が通じない世界(の方が主流に)に変わってゆくのかもしれないね。

(参考)
はてな民には恥じらいが足りない
http://anond.hatelabo.jp/20081128021114

(追記)
仮想geek的女子による女の子的感覚の代弁へつづく